学校現場から犯罪教員を締め出す, 鬼畜教師放逐の改革

教員による犯罪を減じる方策をして, その喧伝も行います。

よい授業ができる先生になる,

 一般の教員にとって,理想的な教師像を尋ねると子どもに慕われると云う事はもちろんですが,それよりも授業の良し悪しが大きなウエイトを占めていることがわかります。

 子どもを惹きつけ,一定の時間と環境の中で目標の到達点に導くわけです。このテクニックに非常に長けたカリスマ先生というのでしょうか,時々いらっしゃいますね。

 どこかの付属とかだったり,著作や論文をたくさん出しておられて有名な方などが評価されるのは,このテクニックに魅力があるのだといいます。

 教員が研修で有名な先生の授業を見学して感動して帰ってくるということがよくあります。何を隠そう教員とは授業ができてなんぼの仕事です。

  有り体に申しますと,今も課題(宿題)を忘れた子どもを強く叱責する教員がいます。これも思い描いたできる授業をすることの妨げとなることに感情の根源があるのです。本当によい授業がしたいなら,宿題をやってこなかった子も十分に課題以上の予習をしてきた子も両方とも包括した授業を行おうと思うのではないでしょうか。

 もちろん到達度別を行いある程度習熟度による振り分けを行ってきましたが,子どもを分けるこの線引きは大変難しいのが現実です。

 それならば,個人の達成度には大きな開きがあることを明らかに認め,個々の達成感を絶対評価することが大切なのではないでしょうか。

 出来の悪い子や,宿題を忘れた子を叱るといった感覚は全く見当違いな方向であることに光明を見いだせないものでしょうか。

既に問題教員の発生は制止不能

 何かと学校支援に取り組んでいらっしゃる関係機関の方には申し訳ないのですが,教員の不適切行為について既定の策は尽きたといっても過言ではないでしょう。

 また,問題の本質は表面化した事例を氷山の一角とした累々としたインシデントの陰にあるわけです。

 そこで,何が教員をして不適切な行為に駆り立てるのか,みなが自明の理と放置された解決案について,私なりにお話させて戴ければと思います。