学校現場から犯罪教員を締め出す, 鬼畜教師放逐の改革

教員による犯罪を減じる方策をして, その喧伝も行います。

ゆとり前夜に行われていたこと知ってますか。

 貴兄の皆様は年代も様々であろうと存じます。私の世代でも印象的な出来事がいくつかありました。ひとつは先にも述べました第5次学習指導要領の改定でした。

 公立学校の運営基盤となるものではありますが,そもそも学校とは世相を反映する鏡であり,世の中の雰囲気に最も影響を及ぼすのは時の経済状況に他なりません。

 この改定でも,本稿の取り上げている教員の非効率な業務の改善案には残念ながら何ら影響しませんでした。

 児童のためと言ってしまえば終いですが,授業時数の削減や学校週5日制の試行(月2回)も業務負担軽減の一助とならないことは明らかでした。狭義のゆとり教育は1996年の施行改定以降を指しますが,この“ゆとり”という姿勢は遥か1970年代初頭に教職員団体によって提唱され脈々と実践されてきたものです。多くの学校教育を行う者の精神的支柱であったと言っても過言ではないでしょう。

 あまりに長く続いた教育現場の礎となる姿勢は,当然に幅広い現場教員の意識の奥底に沁みついております。笑ってはいけませんが,この長い期間どの世代の教員に聞いても学校教育に“ゆとり”があったと言う教員にお目にかかったことがありません。

 つまり,教員の努力以前に学校教育には“ゆとり”が持てないロジックが組み込まれていた,と言えるでしょう。

みんな知っている学校教育の欠陥

   ここでは,小学校の教育課程について学校関係者であれば誰もが熟知している学校教育の欠陥に(現時点でも)ついて少しだけお話ししたいと思います。教員がお忙しく他の職種に比べて余裕のないプライベートを過ごされていることは,ニュースやドキュメンタリーでもご覧になったことがあるかと思います。よく部活動の指導に時間を取られ授業の準備ができないなんていうテレビの報道を聞いたことがあると思います。

 しかし,小学校であれば部活動の顧問がどれだけ熱心に課外活動を行っても知れているように思いますね。では小学校教員は何が忙しいのでしょう。よく言われるのは「その他の雑務が大量にある」ですね。本当はいい授業をするための教材研究をしたい,研修もしたいのに,そんな暇もない!というのです。

 その他の雑務とは,具体的にいえばクラスのお知らせや掲示板を作ることからはじまり,保護者対応,特別教育活動や地域活動に熱心に取り組んでいることまで実に様々です。立派に奮闘している教員の姿が浮かぶでしょうか。

 それでも当然ながら,教員は余裕を持って子どもたちと接する時間を確保すべきだ,ともいい実際ほとんどの教員は多くの時間を子どもと日常的に接する時間を確保しているといいます。どのように時間を工面しているのでしょうか。

 学校は教育の場だ,なんて言いますね。教育とは陶冶と訓育だともいいます。貴兄も子どもに質の高い教育を受けさせたいと思われるでしょうし,できることなら一生の思い出になるような学校生活を送ってほしいと希望すると思います。

 ただ,その重責を忙しくて休みもままならない余裕のない教員に求めるでしょうか。